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沢渡駅 ~シンプルかつコンパクトな地方小都市型専用線ターミナルの成立から廃止まで~
2026.5.23作成開始 2026.6.12公開

《目次》
はじめに
沢渡駅の関連年表
沢渡駅に接続する専用線一覧
沢渡駅の貨物取扱量の推移
西春近財産区
日通商事(株)
秩父セメント(株)
電気化学工業(株)
出光興産(株)
協同飼料(株)
その他
最後に
1976.9沢渡駅地図・空中写真閲覧サービスより)


■はじめに  

 石油やセメントなどの専用線が1カ所の駅に集積した所謂「専用線ターミナル」は、全国各地に点在した。日本オイルターミナル(株)セメントターミナル(株)といった共同貯蔵施設に発展する前段階の形態とも言えそうだが、もちろん明確な定義が定まっているわけではない。

 筆者の持つイメージとしては、石油やセメントの貯蔵基地を中心に複数企業の専用線が集積し専用列車が発着していた駅、例えば北から北旭川駅、札内駅、東札幌駅、仙北町 駅、漆山駅、蔵王駅、長町駅、倉賀野駅南松本駅、南甲府駅、坂祝駅、松任駅、湖山駅など、いくつも挙げることができる。何となくイメージを共有できるのではないだろ うか。

 そして飯田線の沢渡駅もまたそのような「専用線ターミナル」が機能していた駅として注目していた。飯田線には、同様の機能を持つ駅として元 善光寺駅もあるが、沢渡駅の後背地と言える伊那市(1970~80年代の人口が約7万人)は、元善光寺駅の飯田市(同約10万人)と比べても小都市であ り、例として上述したような専用線ターミナルが立地した都市の中でも沢渡駅は特に小規模な都市であり、貨物取扱量も決して多いとは言えなかった。 それでも沢渡駅に着目するのは、〝西春近財産区〟という専用線の専用者として珍しい「財産区」という特別地方公共団体が見られることで、それだけでも普通の貨物取扱駅で はないなという印象を与えるインパクトがあった。

 最盛期にはセメント、石油、LPG、飼料といった荷主企業が専用線に名を連ねており、1990年代後半とい う比較的近年まで貨物取り扱いを行っていたという歴史もまた研究対象としての魅力を感じさせる。国鉄末期の時代に該当する1982(昭57)年に刊行された『伊那市 史』において、沢渡駅の項では「貨物駅として創設以来重要な位置」にあるとの記述もあり、貨物輸送の説明に十分なスペースを割き、更には「今日なおその重 要性を失っていない」とまで言わしめている。([1]p645)

 これもまた西春近財産区という特別地方公共団体が所有する専用線が残置されていたからこそ、自治体側も重要性を認識していたのではないかという気すらす る。尚、先述の元善光寺駅も専用線の専用者として、「(株)座光寺協同専用線センター」という専用線管理者のために設立されたと思われれる法人があり、 〝西春近財産区〟に負けず劣らず筆者に強烈な印象を与えていたため、改めて別項で元善光寺駅を立てて考察していきたい。

 さて沢渡駅は、駅全体の構造としてもコンパクトな専用線ターミナルとして、1つの完成されたシンプルかつ美しい形(笑)を見せつつ、一方で貨物集約駅としての規模感には残 念ながら乏しかったことは否めず、1990年代後半からのJR貨物や荷主企業の輸送合理化の嵐の中で、貨物取扱駅として生き残ることはできなかったという 悲哀も感じさせる。これは飯田線の貨物取扱駅全体に言えることではあるが・・・。第23回「貨物取扱駅と荷主」は、沢渡駅の専用線を中心とした貨物輸送の歴史と輸送体系を解明していきたい。


2026.5沢渡駅 日通商事(株)専用線跡
後方の建物は出光興産(株)の跡地に立地する伊那食品工業(株)藤沢工場


■沢渡駅の関連年表  

年  月
内    容
1962(S37)年03月
◆西春近村専用線、日通液化ガス(株)専用線完成([1]p645)
1965(S40)年04月
西春近村は伊那市と合併し編入
1969(S44)年頃
◆下記品目別取扱数量から、この頃に出光興産(株)専用線設置と思われる
1968(S43)年04月
◆秩父セメント(株)専用線営業開始([1]p647)
1969(S44)年10月
(株)タカノ製作所は椅子製造の沢渡工場を新設同社webサイト
1970(S45)年06月
南信ブロック工業(株)は本社工場を伊那市西春近3005に移転同社webサイト
1971(S46)年03月
◆電気化学工業(株)専用線設置([1]p647)
1975(S50)年08月
中央自動車道の中津川IC~駒ヶ根ICが開通(恵那山トンネルは暫定2車線)
1981(S56)年03月
中央自動車道の小淵沢IC~伊北ICが開通
1982(S57)年11月
中央自動車道は勝沼IC~昭和甲府ICが開通し全線開通
1980年代半ば
◆この頃、出光興産(株)専用線廃止
1985(S60)年03月
中央自動車道の恵那山トンネルが4車線化
1985(S60)年06月
◆末広町駅の三井液化ガス(株)専用線廃止に伴い、沢渡駅の日通商事(株)専用線が廃止されたと思われる
(『神奈川臨海鉄道30年史』神奈川臨海鉄道株式会社、1993年、p71)
1994(H06)年10月
秩父セメント(株)と小野田セメント(株)が合併し、秩父小野田(株)が発足
秩父小野田(株)沢渡SSとなる
1996(H08)年03月
◆ダイヤ改正で沢渡駅発着の貨物列車が廃止
◆秩父小野田(株)、電気化学工業(株)の専用線廃止、西春近財産区専用線も同時に廃止



■沢渡駅に接続する専用線一覧  

専用者
第三者利用者
作業方法
作業
キロ
 S36
 S39
 S42
 S45
 S50
 S58
備 考
西春近村→
西春近財産区
日本建工(株)
(株)タカノ製作所
丸屋肥料店
南信ブロック工業(株)
協同飼料(株)
日通機
0.2






日本建工S36~S58
南信ブロックS36~S58
協同飼料S42~S45
タカノ製作所S50~S58
丸屋肥料店S50~S58
秩父セメント(株)

日通機
0.1






西春近財産区線に接続
日通液化ガス(株)→
日通商事(株)

日通機
0.2






西春近財産区線に接続
出光興産(株)

日通機
日通移動機
0.2






西春近財産区線に接続
電気化学工業(株)

日通機
0.1






西春近財産区線に接続
-:未設 〇:存在



■沢渡駅の貨物取扱量の推移  

▼沢渡駅の貨物取扱量の推移 単位:トン
 年 度
発 送
到 着
合 計
 年 度
発 送
到 着
合 計
 1969(S44)
7,876
48,367
  56,243
 1976(S51)
 13,140
 103,295
 116,435
 1970(S45)
 11,848
60,354
72,202
 1977(S52)
 13,227
 104,336
 117,563
 1971(S46)
 16,983
 107,665
 124,648
 1978(S53)
 13,972
 111,539
 125,511
 1972(S47)
 16,372
 128,991
 145,363
 1979(S54)
 13,160
 107,065
 120,225
 1973(S48)
 17,460
 143,900
 161,360
 1980(S55)
 13,166
 111,002
 124,168
 1974(S49)
 15,961
 130,524
 146,485
 1981(S56)
 13,111
 110,462
 123,573
 1975(S50)
 14,185
 104,642
 118,827




(1975年度までは[1]p645、1976年度以降は『統計要覧いな』伊那市 より作成)

 貨物取扱量のデータは、中途半端な期間のみ判明しているが、主要な専用線が揃った1971(昭46)年度以降、到着量は年間10万トン以上を維持してい る。下記の品目別数量より推察すると、概ねセメントが同6万トン、石油が同3.5万トン、LPGが同4千トン、その他5千トンという割合で長年推移してい たと思われる。

 尚、下表において、LPGは1969、1973年度は「その他の工業品」、1977年度は「化学薬品」にカテゴリーされていたと思われる。LPG以外の化学薬品類の到着は、現時点の情報では考え難いので、殆ど全てがLPGであろう。

 また1969年度の石油取り扱い数量がそれ以降と比べて少ないことから、この年度中(下期か)に出光興産(株)の油槽所設置と専用線開設があったと推察できる。

▼沢渡駅の品目別貨物到着量(車扱) 単位:トン
 年 度
 鉄 鋼
石灰石
 砂 利
 飼 料
その他の
農産品

 肥 料
 石 油
 セメント
化学薬品
その他の
化学工業品

その他の
工業品

その他
合 計
 1969(S44)
39
25
992
1,818
1,060
3,783
13,828
22,591

215
2,941
1,075
48,367
 1973(S48)
82

29
1,839
552
4,410
30,204
101,629

268
3,120
1,767
143,900
 1977(S52)
292
168
90
338
770
4,343
35,403
62,228
3,650


691
107,973
([1]p644‐645より作成)



■西春近財産区  

 財産区とは、市町村の一部が財産を有し、又は公の施設を設けているもので、地方自治法上、特別地方公共団体の1つに扱われている。西春近村では、 1964(昭39)年頃より伊那市との合併機運が高まるにつれて、合併に伴い最南端で僻地となるなどの理由で、林野を分与して欲しいという意見が多数出 て、受け入れられなければ分村もやむを得ないという空気も漂っていたため、村有林を分与する「西春近財産区」が1965(昭40)年4月に発足した。([2]p262-263)

 尚、西春近財産区は、沢渡駅接続の西春近村専用線の所管を引き継いだが、専用線設置の経緯は下記の通りである。

 1961(昭36)年に始まった公有林野等官行造林地の主伐による木材の搬送は、長尺材等の木材だけでなく輸送全般は道路事情が悪いため、鉄道に依存しており、上伊那一円や下伊那の一部も岡谷駅まで運んで貨車輸送をしていた。そこで村や県議会は沢渡駅周辺の利用に着目し、専用線の設置を国鉄静岡鉄道管理局や長野県林務部に働きかけ、実現した。ただしその条件として、木材利用効率を図るためのチップ製造施設を設置することがあり、森林組合が沢渡木材(株)に併設し、直営事業として行った。
 専用線の設置場所は、沢渡駅東南側でその面積は2,726.99平方メートル、1962(昭37)年より運用を開始した。1965(昭40)年の伊那市合併後は、事務を財産区に移して、専用線を利用する会社が増えるにつれて、粗収入が年額800万円にも達した。([2]p262)

 チップ製造業の沢渡木材(株)という会社は、財産区の専用線の第三者利用者には出てこないが、製紙会社に向けてチップを貨車輸送していた可能性は考えら れる。王子製紙(株)春日井工場など長野県内から貨車でチップが到着していた会社も思い浮かぶ。ただ沢渡駅の品目別発送量では、1969(昭44)年度に 「原木」は841トンあるが、チップが該当すると思われる「その他の林産品」は31トンに過ぎず、1973(昭48)年度は原木は無し、その他の林産品は 17トンと取るに足らない。1969年度以前はもしかするとそれなりにチップ輸送があったのかもしれないが、データとして見出すことはできていない。([1]p644)



■日通商事(株)  


2002.10沢渡駅 日通商事(株)長野LPガス事業所

2026.5沢渡駅 日通商事(株)専用線跡
 日通液化ガス(株)の専用線は、西春近村専用線開設と同時の1962(昭和37)年3月に敷設された。同社は、1962年4月より「日通プロパン」の全国一斉販売を開始しており、同社発足当初からの専用線であった。([3]p74)

 また1963(昭38)年度の同社専用線の到着数量は2,133トン(液化プロパンガス)であった。([4]p175)

 同社創業以来のLPGタンク車90両は老朽化とローリー輸送への転換が進み逐次廃車となったが、地域によってはタンク車を必要とするため、 1976(昭51)年に25トン積貨車25両が新造されたが、その運用区間の1つとして川崎製造所(末広町駅)から沢渡充填工場向けの鉄道輸送があった。 ([3]p285-286)

 尚、末広町駅の三井液化ガス(株)川崎製造所の専用線は、1985(昭60)年6月に廃止されており、このタイミングで沢渡駅の日通商事(株)専用線も廃止されたと思われる。

 一方、日通商事(株)の充填所は社名変更を経た今でも現役で、「NX商事(株)長野LPガス事業所」となっている。専用線も事業所入口まで残っており、沢渡駅で貨物取り扱いを行っていた往時の雰囲気が唯一、残っていると言える。



■秩父セメント(株)  


1994.6沢渡駅 秩父セメント(株)沢渡SS専用線
急行越前様より大変貴重な写真をご提供いただきました!

1994.6沢渡駅 秩父セメント(株)沢渡SS専用線
急行越前様より大変貴重な写真をご提供いただきました!
 秩父セメント(株)の専用線は1968(昭43)年4月に設置されているが、同社沢渡倉庫の開設も同時期であり、『セメント年鑑  1970』によると搬入方法は秩父・熊谷工場からバラ貨車となっている。そのため当初からセメントサイロ向けにホキ5700形を中心とした貨車輸送が行わ れていたようだ。

 1995(平7)年時点のダイヤでは、武州原谷駅発のセメント貨車が元善光寺、沢渡の両駅に向けて運用されていた。([5]p27) 上記『セメント年 鑑』の情報からすると、三ヶ尻駅や秩父駅発送の貨車輸送もあったと推察されるが、『長野鉄道管理局二十年史』によると1970(昭45)年時点の物資別輸 送として、武州原谷~沢渡駅間でセメントがホキ2両で輸送と記載があり、基本的に武州原谷駅を発駅とするセメント輸送が行われていたと思われる。

 およそ30年間も続いたこの貨車輸送は、1996(平8)年3月ダイヤ改正で沢渡駅に発着する貨物列車の設定が無くなり、この時点で廃止されたと思われ る。尚、秩父小野田(株)のSS跡地は、伊那食品工業(株)に売却されたようで、化工機部の工場が立地していて跡形もなくなっている。



電気化学工業(株)  


1976.9沢渡駅 右側が電気化学工業(株)
地図・空中写真閲覧サービスより)

1994.6沢渡駅 電気化学工業(株)のタキ1900形を牽引するスイッチャー
急行越前様より大変貴重な写真をご提供いただきました!
 電気化学工業(株)の専用線は1971(昭46)年3月に設置されており、同社沢渡セメントSSも同時期に開設されている。(『デンカ60年史』電気化学工業株式会社、p580)

 沢渡駅側には既に秩父セメント、日通商事、出光興産が並んで立地しており、飯田駅側の最も遠い場所に開設されたことが分かる。

 1995(平7)年時点のダイヤでは、青海駅発のタキ1900形を中心としたセメント貨車が沢渡駅に向けて運用されていた。([5]p27)
 輸送量は、秩父セメントの専用線と同レベルの1日当たりタキ2~3両程度であったと思われる。左記写真でも専用線には貨車が3両程度停まっている。 

 そして秩父セメントと同じく、開設以来一貫した輸送区間で廃止まで至ったと思われる。一方、もし中津川線が開通していれば、住友セメントと交換出荷となって、本巣駅からの到着に切り替わったのだろうかということも気になる。

 1996(平8)年3月ダイヤ改正で沢渡駅に発着する貨物列車の設定が無くなり、秩父セメントと同時期に廃止されたと思われる。
 跡地は、こちらも伊那食品工業(株)に売却されたようで、藤沢工場が立地している。



■出光興産(株)  


1976.9沢渡駅 出光興産(株)
  出光興産(株)の専用線は開設時期の特定ができていらず、同社社史は油槽所の変遷について記述に乏しいため、油槽所名の特定もできていない。おそらく「伊 那油槽所」と思われるが、文献による特定には至っていない。ちなみに七久保駅に専用線のあった日本石油(株)は「伊那油槽所」であった。

 尚、開設時期は上記貨物取扱量の項で考察した通り、1969(昭44)年度下期と思われ、冬季需要に備え同年10~11月頃ではないだろうか。
 左記写真ではタンク車らしきものが2両、専用線内に停車しているが、40トンタンク車×3両×250日稼働で計算すると年間3万トンの取扱量となり、上述の1973年度の石油の到着数量に相当するので、そのくらいの輸送量であったと思われる。油槽所も写真から見る限り、小規模であったと思われる。(拡張余地が残されていたようだが)

 輸送体系の情報としては、1980(昭55)年度の前川駅出光興産(株)千葉製油所を発駅とする主なる着駅に「沢渡駅」が含まれている。(『貨物輸送概況 昭和55年度』京葉臨海鉄道株式会社、p41)
 しかし1981(昭56)年度以降の同情報に沢渡駅が見当たらないが、あくまでも〝主なる〟となっているため、この輸送が無くなったと結論付けることは できない。尚、前川駅の同社専用線は、1988(昭63)年11月に廃止になっているが、『1987年度版 石油産業会社要覧』では出光興産に〝伊那油槽 所〟に該当する事業所は存在せず、既に油槽所が廃止されていたと思われる。

 上記情報から1980年代半ばには、〝伊那油槽所〟廃止に伴い前川~沢渡間のタンク車輸送が廃止されたと想定でき、その可能性も高そうと考えている。
 一方で、前川以外の発駅の可能性もある。1980年10月に出光興産は汐見町駅(同社名古屋油槽所)から南松本駅の日本オイルターミナル(株)向けにタキ11両の専用貨物列車を新設しており、このタイミングで、沢渡駅向けのタンク車輸送も前川から汐見町に振り替えられた可能性がありそうだ。(『15年のあゆみ』名古屋臨海鉄道株式会社、1981年、p97) 先述した1981年度以降の京葉臨海鉄道の貨物輸送概況に前川~沢渡間の石油輸送が見当たらないこととも矛盾しない。更には両駅を発送元とするタンク車輸送が時期を並行して行われていた可能性も、当時の貨車輸送全般の状況からして不思議ではないかもしれない。




■協同飼料(株)  


1995.12船見町駅 協同飼料(株)名古屋工場 専用線跡
  協同飼料(株)は、西春近財産区の第三者利用者に現れるのだが、1967~1970年版の短い期間のみとなる。沢渡駅に飼料サイロがあったかどうかは記録 は見出せず、空中写真でも不鮮明ではあるが、それらしきものは見当たらない。また沢渡駅にホキ車の運用があった形跡も無く、おそらく倉庫へワム車で袋詰飼料を運んでいたと想像している。

 沢渡駅の品目別到着量によると、飼料は1973(昭48)年度で1,839トンだが、15トン積みワム80000形1車が年間120日到着で1,800トン相当となり、ホキ車には物足らない程度の輸送量とも言える。

 さて協同飼料(株)の発駅としてまず想定されるのは、名古屋臨海鉄道・船見町駅である。同駅には、同社名古屋工場の専用線があり、伊那地方へは他メーカーでも名古屋地区から飼料が貨車で到着していた実績もあり、発送元として有力と考える。尚、東海道貨物支線・入江駅に同社横浜工場の専用線もあり、そちらからの輸送も可能性はありそうだ。

 上記の通り、輸送量自体が少なかったと思われるため、昭和50年代には専用線の第三者利用者から名が消えており、セメントや石油よりも早い時期にトラッ ク輸送に転換したと思われる。中央自動車道の整備が進んだ時期でもあり、名古屋地区からの貨車輸送の競争力が失われていったとも考えられる。

 知多~辰野間の信越くみあい飼料(株)向けのホキ車による飼料原料輸送は、1990年代後半まで残り続けたことを考えると、輸送量の多寡が直接影響した ということであろう。そもそも沢渡駅は飼料工場があったわけではなく、あくまでもストックポイント、それもバラ輸送ではなくて袋詰飼料と考えると、昭和40年代まで可能であったレベルの輸送と言えそうではある。




■その他  


1994.6沢渡駅 日本建工(株)伊那工場
急行越前様より大変貴重な写真をご提供いただきました!
 「西春近財産区」専用線の第三者利用者には、協同飼料(株)以外にも日本建工(株)、(株)タカノ製作所、丸屋肥料店、南信ブロック工業(株)の各社が確認できる。
 
 まず日本建工(株)だが、急行越前様よりご提供いただいた貴重な左記写真では、「ニッコーボード 木毛セメント板製造 日本建工株式会社伊那工場」の文字が、概ね確認できる。
 1963(昭38)年度の当時の「西春近村」専用線からの発送量実績は11,161トンなのだが、主な品名は木材、木毛セメント板であり、到着は9,340トン、主な品名はセメント、砕石である。日本建工(株)が原料のセメントや製品の木毛セメント板の一部を専用線を介して貨車輸送していたと考えられる。([4]p175)
 また1974(昭49)年度の専用者別発着車数の資料では、日本建工(株)は発送が45車、到着が6車となっており、貨車輸送を継続していた。([6]p111)
 ただ日本建工(株)という会社自体は、web上で同名の他社は見つかるものの当該社は見つけられず、現地も伊那食品工業の事業所に建て替えられていて、何も残っていない。会社そのものが廃業し清算され、土地ごと売却されてしまったのかもしれない。

 次に丸屋肥料店に着目すると、上記同様に1974年度の専用線の同社発着車数は、到着が109車となっている。([6]p111)
 一方、沢渡駅の品目別到着量は、1977(昭52)年度でも肥料が4千トンを超えており、丸屋肥料店以外の荷主も当然あったと思われるが、国鉄末期まで貨車輸送の依存度の高かった化学肥料は、数量的にはそれなりに維持されていたと言えそうだ。
 丸屋肥料店をGoogleで検索すると、伊那市西町に店舗事務所があったようで、ストリートビューではトモエ化学工業(株)の「ハイグリーン」の袋が店頭に並んでいるのが、写真から何とか識別できる。ここでトモエ化学工業と言えば、常磐線・湯本駅に専用線があり、ワム車による製品輸送が行われていたことが思い出される。尚、湯本駅の同社専用線は1986(昭61)年8月に廃止されている。(『常磐地方の鉄道-民営鉄道の盛衰をたどって-』小宅幸一、1987年、p85)
 トモエ化学工業から肥料が沢渡駅まで貨車輸送されていたという確証は無いのだが、このような湯本~沢渡間の肥料輸送が想起できるのは面白いところだ。発 荷主がどのような会社なのかは特定できないとしても、国鉄末期まで丸屋肥料店向けの貨車による肥料輸送は残っていたのかもしれない。
 ちなみに丸屋肥料店自体は既に営業を止めているようで、Google Mapでは「閉業」とされている。

 タカノ製作所には個人的にあまり興味が湧かないのだが、最後に南信ブロック工業(株)にも触れておきたい。同社は、現在(株)フォレストコーポレーションと社名が 変わってしまっているが、沢渡駅隣接地に1970(昭45)年、本社工場を建ててブロック生産を開始したことが、ホームページの「創業からの歩み」で確 認できる。但し、1976(昭51)年5月には社名を南信建設工業(株)へ変更しており、「建設請負工事に本格参入」、「不動産取引業の免許を受ける」と あり、主要な業態がブロック製造から建築や不動産にシフトしたようだ。
 実際、南信ブロックの上記1974年度の発着車数は発送も到着も実績に記載が無く、0という状態であり、少なくとも貨車輸送は終焉していたと思われる。([6]p111) 現在の同社はブロック生産は手掛けていない模様。



■最後に  
 
 沢渡駅の専用線を中心とした貨物輸送の歴史と輸送体系を纏めてみたが、1980年代半ばまではセメント、石油、LPGの貨車輸送が残り、筆者がイメージ する〝専用線ターミナル〟として機能していたことが改めて分かった。そして特にセメントは、輸送量的には2社ともセメントの専用線としては少ない部類に属する が、国鉄末期も生き残り1996年3月ダイヤ改正まで輸送は継続していたのである。内陸部で陸送が不便な場所であれば伊那市のような小規模な都市への供給であっても、鉄道貨 物輸送がトラック輸送に対して競争力を何とか維持できていたと言えるのかもしれないし、小規模であっても貯蔵基地を設置しておくだけの経済合理性もあったということであろう か。

 そのようなことを考えつつ、沢渡駅と同様に飯田線の貨物取扱駅として末期まで残った七久保、上片桐、元善光寺の3駅も全て石油やセメント、LPGといっ た消費物資の貯蔵基地向けの貨車輸送であったことが、改めて気になる。即ち国鉄が中津川線が完成した際に建設を構想していたという「元善光寺駅に石油ター ミナル」がもし実現していたならば、石油だけでなくセメントやLPGも含めた総合的な〝専用線ターミナル〟となり、沢渡駅も元善光寺駅に集約されていたの かもしれない、と無駄なことではあるが夢想が拡がる。

 結果的には中津川線は建設途中で頓挫し、元善光寺駅に巨大な石油ターミナルが新設されることは無く、沢渡駅などの各駅への貨車輸送が1990年代後半まで連綿と続いたわけであ る。そして現在の視点に立ち返ってみると、沢渡駅はLPG以外の貯蔵施設は完全に消滅している。何しろ、デンカセメントで知られた電気化学工業がセメント事業から撤退するぐらいまで時代は 進んでおり、沢渡駅のみのミクロ的視点で小規模な貯蔵施設をどのように維持していくかという論点に立脚すると、もはや発想が伸びない。長野県内という観点でも、日本オイルターミナル(株)は2011年に上田営業所を閉鎖し、松本営業所に集約されるなど、伊那盆地の需要を見越して飯田市内に石油ターミナル駅を国鉄時代に設置できていたとして、現在まで維持されたかは怪しくなってくる。

 そう考えると沢渡駅の〝専用線ターミナル〟はシンプルかつコンパクトという誉め言葉のような修飾詞を付けたが、求められる需要自体が設備のインフラとしてコンパクトで済むということであり、鉄道貨物輸送を維持するには些か物足りなかったということであろう。南松本駅が 有する巨大な石油基地や貨車輸送は消滅したものの今なお集積しているセメント基地群は、松本盆地が抱える膨大な需要に裏打ちされているからこその設備で、 それが今や石油輸送においては、長野県全体の需要を支える鉄道貨物輸送の拠点として君臨することに繋がっている。そうとは分かりつつ、沢渡駅の専用線を中 心とした貨物取扱機能の発展的解消として、伊那盆地にも総合的な鉄道貨物ターミナルが実現できていれば・・・という想いを簡単に消し去ることはできない。 この辺りは趣味的な思考回路から抜け出すことは難しいと、つくづく感じる次第だ。

 そのように思わせるだけの集積度と機能性、そして財産区専用線の存在が醸し出す昭和的情緒のようなものも沢渡駅の魅力ではないかと、筆者の嗜好も吐露してこの項を締めくくりたい。



[1]『伊那市史 現代編』伊那市史刊行会、1982年
[2]『西春近をふり返る-平成から明治・そして原始-』西春近歴史刊行委員会、2002年
[3]『日通商事20年のあゆみ』日通商事株式会社、1985年
[4]『貨物要覧 昭和38年度』日本国有鉄道 静岡鉄道管理局、発行年不明
[5]「ローカル貨物列車ワンポイントガイド」『鉄道ダイヤ情報』No.139、1995年
[6]『貨物要覧 昭和49年度』日本国有鉄道 静岡鉄道管理局、発行年不明
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