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北旭川駅 〜我が国最北端の物資別適合基地の成立とその変遷〜
2017.2.20作成開始 2026.5.6公開

《目次》
はじめに
北旭川駅の関連年表
北旭川駅の貨物取扱量の推移
石油輸送
セメント輸送
LNG輸送
合同酒精(株)旭川工場のコンテナ輸送
最後に


■はじめに  

2013.6北旭川駅
 道内2位の人口約31万人を数える道北最大の都市・旭川市。上川盆地における鉄道と道路の起終点が集まる交通の 要衝で、古くから食品や紙・パルプ産業などの経済活動が活発であり、鉄道貨物輸送も盛んに行われていた。

 市内には旭川大町駅(1978年廃止)という貨物専用駅が存在したほか、近文、旭川、新旭川、永山、東旭川といった貨物取扱駅が点在し、市内を走る旭川電気軌 道(1973年廃止)でも電車が貨車を牽引して貨物営業を行っていた。北旭川駅は、旭川市の都市計画に基づく物流流通団地の整備に合わせて、ヨン・サン・トオのダイヤ改正で知られる1968(昭43)年10月に開業したが、旭川都市圏の貨 物駅集約はすぐには進まず、例えば北旭川駅における油槽所新設と専用線敷設は昭和50年代になってからであった。

 逆に市内各駅の専用線の貨物取り扱いは後年まで存続した所が比較的多く、特に新旭川駅には日本製紙(株)旭川工場の巨大な専用線がJR貨物発足 後も維持され、車扱とコンテナ扱いの両方を行っていたということもあって、北旭川駅は相対的に地味な印象もあった。ただ内陸油槽所の集積を成し遂げ、セメ ント2社の専用線も存在したことなど、専用線ターミナルとして充実した設備を持ち、それら車扱輸送は現在では全て消滅してしまったのは残念だが、トップリ フターを備え30ft級コンテナを取り扱う主要貨物駅として、今なお道北に君臨している。

 国鉄によって、石油、セメント、農産物といった物資別適合基地が整備された最北端の貨物専用駅であり、実質コンテナ専用駅となった今後も道北の鉄道貨物 輸送の拠 点としての地位は揺らがないであろう。旭川都市圏内の各貨物取扱駅の特に石油輸送の盛衰にも気を配りつつ、第22回「貨物取扱駅と荷主」は北旭川駅を取り 上げ、その成立と変遷を辿ってみたい。ここでは筆者の興味に従って、米や野菜等の輸送は取り上げないことにする。現在の北旭川駅の取り扱い品目はそういっ た農産品が主力なのだが、ここでは石油やセメントを中心とした輸送体系を考察する。


■北旭川駅の関連年表  

年 月
内  容  ※(〇〇駅)以外は北旭川駅の出来事
1953(昭28)年03月
(新旭川駅)丸善石油(株)旭川油槽所が新設(『35年のあゆみ』丸善石油株式会社、1969年、p5)
1955(昭30)年頃
(近文駅)シェル石油(株)旭川油槽所が開設(※「専用線一覧表」より推察)
(新旭川駅)出光興産(株)旭川油槽所が開設
(※「専用線一覧表」より推察)
(新旭川駅)モービル石油(株)旭川油槽所が開設(※「専用線一覧表」より推察)
1959(昭34)年10月
(永山駅)日本石油(株)旭川油槽所が開所(『日本石油百年史』1988年、p602)
1963(昭38)年頃
(新旭川駅)三菱石油(株)旭川油槽所が開設(※「専用線一覧表」より推察)
1967(昭42)年03月 (旭川駅)旭川から東札幌にコンテナ輸送開始
(『旭川・鉄道八十八年の歩み』旭川鉄道管理局、1987年、p100)

1967(昭42)年12月
(永山駅)大協石油(株)旭川油槽所が開所(『大協石油40年史』1980年、p524)
1968(昭43)年06月 (新旭川駅)東室蘭〜新旭川間でタキ11500形式貨車によるセメントバラ積み輸送開始
(前掲『旭川・鉄道八十八年の歩み』p101)
1968(昭43)年10月
北旭川駅開業
1969(昭44)年05月
富士セメント(株)は旭川中継基地向けバラセメント貨車輸送開始
(『セメント年鑑 1975』セメント新聞社、p298)
1969(昭44)年10月
日鐵セメント(株)専用線使用開始[1]p12 〔※当時の社名は富士セメント(株)〕
1969(昭44)年11月
旭川地方卸売市場専用線使用開始[1]p12
1969(昭44)年11月 (留萌駅)留萌地区石油共同基地が完成稼働。同基地出荷の共同石油(株)、
モービル石油(株)の製品輸送をJOTが請け負う(『日本石油輸送の25年』1973年、p128)
1970(昭45)年06月
旭川青果専用線使用開始[1]p12
1971(昭46)年04月
日鐵セメント(株)旭川中継基地完成(『二十年の歩み』日鐵セメント株式会社、1974年、p195)
1971(昭46)年07月
日鐵セメント(株)旭川SS開設。貯蔵能力1,000トン(『セメント年鑑 1972』セメント新聞社、p43)
北海道農産品ターミナル(株)完成
[1]p13
1974(昭49)年06月
宇部興産(株)専用線使用開始[1]p13
1974(昭49)年12月
旭川駅の専用線扱いを除く貨物取り扱いが全面移行[1]p13
1977(昭52)年10月
以降
日本石油(株)、出光興産(株)、東西オイルターミナル(株)、共同石 油(株)専用線が
相次いで使用開始[1]p13
1977(昭52)年10月 日本石油(株)北旭川油槽所が開設(前掲『日本石油百年史』p804)
1978(昭53)年11月
東西オイルターミナル(株)旭川油槽所〔利用元売会社:三菱石油 (株)、丸善石油(株)〕開所
1979(昭54)年05月
(永山駅)大協石油(株)旭川油槽所が閉鎖(前掲『大協石油40年史』p524)
1980(昭55)年10月
ダイヤ改正時に石北本線短絡線の完成
1984(昭59)年02月
(永山駅、東旭川駅)貨物取扱の廃止
1986(昭61)年11月
(旭川駅)貨物取扱の廃止
1990(平02)年03月
(近文駅)ダイヤ改正で近文駅の石油列車の発着廃止
1997(平09)年09月
(新旭川駅)日本製紙(株)旭川工場の専用線廃止
(石油埠頭駅)苫小牧港開発の三菱石油(株)のタンク車輸送中止
(『北の大地を創る』苫小牧港開発株式会社、1998年、p54)
1998(平10)年03月
(石油埠頭駅)コスモ石油(株)のタンク車輸送中止に伴い苫小牧港開発が休止
(前掲『北の大地を創る』p54)
1999(平11)年11月
東西オイルターミナル(株)旭川油槽所が閉鎖
2003(平15)年07月
30ft・40ft級対応の総重量24トントップリフター配備(『JR貨物ニュース』2003年8月15日号、2面)
2003(平15)年10月
苫小牧〜北旭川間で30ftタンクコンテナによるLNG輸送開始
(『JR貨物ニュース』2003年8月15日号、2面)
2004(平16)年07月
新日本石油(株)旭川油槽所が日本オイルターミナル(株)に移管され同 社旭川営業所に
(『交通新聞』2004年7月15日、3面)

2009(平21)年12月
冬季限定で五稜郭〜北旭川間でLNG輸送開始
(『新しい貨物列車の世界』交通新聞社、2021年、p89)
2012(平24)年03月 冬季限定の函館貨物〜北旭川間のLNG輸送終了(前掲『新しい貨物列車の世界』p89)
2012(平24)年05月
日本オイルターミナル(株)旭川営業所が営業終了。本輪西〜北旭川間の 石油列車廃止
2012(平24)年11月
苫小牧〜北旭川間のLNG輸送終了(前掲『新しい貨物列車の世界』p89)
2018(平30)年
北旭川〜吹田(タ)間で生乳タンクコンテナ輸送開始
(『貨物列車の世界』交通新聞社、2025年、p63)

▼北旭川駅の配線図(1984.1.1現在)

[1]p14


2013.6北旭川駅 北海道農産品ターミナル(株)



2023.9北旭川駅 生乳タンクコンテナ



■北旭川駅の貨物取扱量の推移  

 『旭川市統計書』には北旭川駅の貨物取扱量が載っているのだが、近年は取扱量としてのみで、発送や到着、コンテナと車扱といった内訳が不明で、些か残念である。
 一方、筆者が持つ『昭和45年版 旭川市統計書』では、発着が分けられており、1969(S44)年度 発送:59千トン、到着:87千トン 計146千トンである。

 また1982(S57)年度 発送:213千トン、到着:405千トン 計618千トン([1]p13) の数量も判明しているが、それ以降のデータは未入手であり、1993(H5)年度以降は下表の通りである。

▼北旭川駅の貨物取扱量(千トン)
年 度
取 扱 量
年 度
取 扱 量
年 度
取 扱 量
1993(H05)
817
2003(H15)
710
2013(H25)
280
1994(H06)
803
2004(H16)
700
2014(H26)
294
1995(H07)
838
2005(H17)
713
2015(H27)
296
1996(H08)
845
2006(H18)
711
2016(H28)
297
1997(H09)
802
2007(H19)
697
2017(H29)
285
1998(H10)
742
2008(H20)
654
2018(H30)
273
1999(H11)
787
2009(H21)
632
2019(R01)
263
2000(H12)
742
2010(H22)
605
2020(R02)
256
2001(H13)
700
2011(H23)
591
2021(R03)
247
2002(H14)
688
2012(H24)
303
2022(R04)
248
『旭川市統計書』より作成



■石油輸送  

 
北旭川駅の石油基地は、タンク35基(日石11基、出光6基、共石10基、東西OT8基)を有す る計65,820キロリットルにも及ぶもので、これは内陸最大規模と言われた日本オイルターミナル(株)宇都宮営業所の約25,000キロリットルを遥か に凌ぐ規模であった。もちろん各社の油槽所を合計しての規模ではあるのだが、それだけのボリュームを持つ油槽所群が整然と整備されていたわけで、まさに 「道北経済の発展と市民生活の安定に寄与」する存在であったと言える。([1]p12‐13)

 気になることが1つあり、1984年8月現在の空撮写真で共同石油と東西オイルターミナルの間にポッカリと空き地がある。一方、「専用線一覧表」を見る と北旭川駅の専用者に「昭和石油(株)」の名があるものの、油槽所があった痕跡や記録が無い。そのため、このいわくありげな空き地は、昭和石油が油槽所を 設置する計画のあった場所なのかもしれない。結果的には、昭和石油はシェル石油と合併し、シェル石油の旭川油槽所が近文駅に設置されていたため、それを活 用することになり北旭川駅に油槽所を開設することは無かったという歴史が想定される。今となっては確かめようもないが、可能性は高いのではないかと考えて いる。



1984.8北旭川駅 (地図・空中閲覧サービスより)

1989.6北旭川駅 (地図・空中閲覧サービスより)

1994.6北旭川駅 (地図・空中閲覧サービスより)

2002.9北旭川駅 (地図・空中閲覧サービスより)

▼旭川周辺の石油及びガス関係の専用線
所管駅
専 用 者
総延長
キロ
1964
年版
1967
年版
1970
年版
1975
年版
1983
年版
備  考
近 文
シェル石油(株)
0.2






旭 川
旭川ガス(株)
0.5






新 旭 川
出光興産(株)
丸善石油(株)
モービル石油(株)
→共同石油(株)
1.2




×
共有線
1967年版:モービル石油(株)
1970年版以降:共同石油(株)
新 旭 川
三菱石油(株)
0.2




×
石原木材工業(株)と共有線
北 旭 川
日本石油(株)
出光興産(株)
共同石油(株)
昭和石油(株)
東西オイルターミナル(株)
3.2





共有線
永 山
北海道石油瓦斯(株)
岩谷産業(株)
(第三者)大協石油(株)
0.3





共有線
大協石油(株)は1970年版以降
永 山
日本石油(株)
0.3




×

永 山
羽幌プロパン石油(株)
0.1



×
×
1964年版では
羽幌炭砿鉄道(株)
永 山
永山農協
(第三者)(株)旭川灯油センター





×
(株)旭川灯油センターは1975年版
東 旭 川
(株)ほくさん
0.1






東 旭 川
日通プロパン(株)
→第一ガス(株)
0.1





1975年版:日通プロパン(株)
1983年版:第一ガス(株)
‐:未設、〇:存在、×:廃止、△:休止

2013.6北旭川駅 東西オイルターミナル(株)跡地


2023.9東旭川駅 第一ガス(株)

 内陸都市である旭川市には、1950年代より石油元売各社の油槽所が相次いで開設され、特に新旭川駅には、3社共有線となる専用線が敷設されており共同油槽所に近い機能を果たしていたと思われる。
 そのため北旭川駅が開業しても石油基地がすぐに設置されることはなく、1950年代に開設された油槽所が老朽化したと思われる1977年以降に油槽所と専用線の整備が進んだ。
 
 各駅に向けた元売各社の輸送体系の変遷は複雑である。道内の石油移入基地が室蘭港がメインであった時代は、本輪西駅が発駅の大半を占めており、昭和40 年代に苫小牧港の開発が進むと日本石油以外は苫小牧港開発の石油埠頭駅が発駅に移行していったようである。ただ共同石油は、複数の発駅からの輸送が一定期 間は並行して残っていた可能性がある。一方、1956(S31)年12月に室蘭製油所を開所した日本石油は長年、一貫して本輪西駅を発駅に旭川地区にタン ク車で石油を供給し続けたことになる。最後までタンク車輸送が残ったのは、結局旧日石の輸送ルートであったというのは感慨深い。
 
 またLPGなどのガス関係の専用線も点在しているが、これらは国鉄側も駅を集約する試みがあった形跡は無く、北旭川駅に専用線等が敷設されることもなかった。そのため、ここではガス関係の輸送体系の考察は控えておく。
 石油系各社の輸送体系の変遷を一表に分かりやすく纏めるのは至難の業なのだが、強引に纏めてみたのが下記表である。

荷 主
発 駅
専 用 者
昭和30年代の輸送
昭和40年代の輸送([2]p259)
昭和50年代以降の輸送
日本石油(株)
本輪西
日本石油精製(株)室蘭製油所
本輪西〜永山

1977年から北旭川駅着に変更
2012年5月:本輪西駅からのタンク車輸送廃止
三菱石油(株)
本輪西
石油埠頭
三菱石油(株)室蘭油槽所
苫小牧埠頭(株)
本輪西〜新旭川
1970年5月:石油埠頭駅の
三菱石油(株)専用線運輸開始
1978年11月:東西オイルターミナル(株)旭川油槽所開所
1997年9月:石油埠頭駅からのタンク車輸送廃止
出光興産(株)
本輪西
石油埠頭
出光興産(株)室蘭油槽所
出光興産(株)北海道製油所
本輪西〜新旭川
1969年8月:石油埠頭駅の
出光興産(株)専用線運輸開始
1977年10月以降に北旭川駅着に変更
1987年時点で旭川油槽所は存在せず
丸善石油(株)
本輪西
石油埠頭
丸善石油(株)室蘭油槽所
丸善石油(株)苫小牧油槽所
本輪西〜新旭川
1968年12月:石油埠頭駅の
丸善石油(株)専用線運輸開始
1978年11月:東西オイルターミナル(株)旭川油槽所開所
1998年3月:石油埠頭駅からのタンク車輸送廃止
大協石油(株)
本輪西
石油埠頭
大協石油(株)室蘭油槽所
苫小牧埠頭(株)
本輪西〜永山
1974年12月:石油埠頭駅の
大協石油(株)専用線運輸開始
1979年5月:大協石油(株)旭川油槽所が閉鎖
→東西オイルターミナル(株)に統合
昭和石油(株)
室蘭
石油埠頭
昭和石油(株)室蘭油槽所
昭和石油(株)苫小牧油槽所
室蘭〜近文

1968年12月:石油埠頭駅の
昭和石油(株)専用線運輸開始
1989年度まで苫小牧〜近文間で石油列車あり
シェル石油(株)
石油埠頭
苫小牧埠頭(株)

1970年12月:石油埠頭駅の
シェル石油(株)専用線運輸開始
1989年度まで苫小牧〜近文間で石油列車あり
共同石油(株)
七重浜
石油埠頭
留萌
アジア石油(株)函館製油所
共同石油(株)苫小牧油槽所
共同石油(株)留萌油槽所
七重浜〜新旭川
1968年12月:石油埠頭駅の
共同石油(株)専用線運輸開始

1969年11月:共同石油(株)
留萌油槽所開所
七重浜、石油埠頭、留萌の各駅から北旭川駅に石油輸送が
行われていた模様。1981年9月にアジア共石(株)は、共石
グループから離脱、大協石油傘下となり輸送体系が変更か。
1984年2月:七重浜駅は貨物取扱廃止
1985年3月ダイヤ改正時:留萌〜北旭川間に石油列車あり
1986年9月:留萌駅発送の石油輸送中止(『留萌市統計書』)

 シェル石油(昭和シェル石油)は、北旭川駅に油槽所を集約せずに近文駅へのタンク車輸送をJR移行後の1989(H元)年度まで続けた。一方、音威子府駅に専用線のあった音威子府油槽所を1982(S57)年度に閉鎖しており、旭川油槽所に集約したと考えられる。道北の貯蔵拠点として近文駅の専用線を活用していたことが窺われ、北旭川駅に最後まで集約されなかった経緯含めて興味深い。

 また共同石油は留萌駅からのタンク車輸送が行われていたのが他社と比べ独特であり、留萌〜北旭川間の石油列車廃止に伴い石油埠頭駅発送に切り替わったと 思われる。一方で日本石油や東西オイルターミナルの油槽所に先行して、旧共石となるジャパンエナジーの油槽所は閉鎖されており、代替として留萌油槽所が旭 川地区までをカバーする油槽所となったのかもしれない。

 尚、留萌駅発送の石油に関しては、留萌〜旭川地区の輸送量が国鉄北海道総局の発行 する『鉄道貨物輸送年報』より分かり、1976(S51)年度:64千トン、1977(S52)年度:69千トン、1978(S53)年度:78千トン、 1979(S54)年度:73千トンで推移している。また留萌駅の発荷主は、モービル石油は1976年度まで実績があり、1977年度からは共同石油だけになったことも確かめることができる。

 留萌駅の石油の発送量は、1982年度で75,154トン(『留萌市統計書 昭和58年度版』p55-56)あり、その 全量が北旭川駅向けとは限らない(製紙工場や製糖工場向けもありそうだ)ということからも、共石は留萌発と石油埠頭発の両駅から供給を受けていた可能性は ありそうだ。ちなみに1979年度における共同石油の各駅別の発送量も上述『鉄道貨物輸送年報』に記録があり、七重浜駅:18.4千トン、苫小牧港開発 (石油埠頭駅):5.1千トン、留萌駅:111.8千トンと留萌駅が多い。この頃のメインの発送元は留萌駅であったようだ。

 さて、エクソンモービル系の油槽所は旭川地区に拠点が殆ど無かったということも気になるところだ。エッソ石油(株)、ゼネラル石油(株)は旭川地区(※ エッソ石油はそもそも北海道に油槽所無し)に油槽所を配置せず、「専用線一覧表」からモービル石油(株)は昭和40年代前半に油槽所を廃止して、共同石油 に譲渡したようだ。一方で、留萌港に共同石油と共同石油基地を設置しており、旭川地区へは留萌油槽所が管轄していた模様。留萌港から旭川市内までは距離に して約80q程度と苫小牧港までの約170q程度と比べても、大幅に近い(留萌港〜旭川市内はちょうど仙台塩釜港〜山形市内までの距離感に近い)。旭川は内陸都市ではあるものの、留萌港というライバルが身近に存在し、タンク車輸送の廃止に繋がったとも言えそうである。

 時は下って、2000(H12)年3月31日現在の北旭川駅の専用線は、日石三菱(株)(株)ジャパンエナジー東西オイルターミナル(株)出光興産(株)昭和シェル石油(株)の5社が専用者である。この共有専用線における1999(H11)年度の取扱トン数(到着)は、460,224トンであった。
 尚、1996(H8)年度は同429,934トン、1995(H7)年度は同411,076トンであったことも分かっており、JR移行後の5社共有専用線の取扱量は年間40〜50万トンで安定的に推移していたものと思われる。(参考資料:『鉄道貨物輸送年報』日本貨物鉄道株式会社北海道支社)
 専用者に出光興産、昭和シェル石油が含まれるのは興味深いところで、出光は石油埠頭からの輸送廃止後に、昭和シェル石油は近文駅専用線廃止後に、それぞれ日本石油精製・室蘭製油所からのジョイント輸送に変更されていたのかもしれない。

 上述の通り、北旭川駅の上川盆地への石油供給基地としての役割は、約35年に亘って脈々と続いたのだが2012(H24)年5月の油槽所閉鎖によるタン ク車輸送廃止に伴ってついに終焉を迎えた。更に2014(H26)年3月末にはJX日鉱日石エネルギー(株)(当時)は室蘭製油所における石油精製を終了 し、同年5月には本輪西駅からの石油のタンク車輸送が終了し専用線も廃止された。本輪西駅のあの巨大な専用線が廃止になる日が来るとは、思いもよらなかっ たわけだが、その時から既に10年以上の月日が経過していることにも驚かされる…。

 さて、北旭川駅の石油共用専用線で最後まで使われた旧日石の油槽所跡地だが、Googleストリートビューを見る限り2024(R4)年10月現在でも 錆びついた石油タンクがそのまま放置されており、何とも言えない気持ちにさせられる。貨物駅に隣接するメリットを活かした物流拠点として、新たに有効活用 されることを望みたい。



■セメント輸送  

 北旭川駅に専用線を敷設していたのは、日鐵セメント(株)と宇部興産(株)の2社で両社のセメント基地は隣接しており、物資別基地として計画的に配置された雰囲気は感じられる。
 しかし「1983年版専用線一覧表」では、日鐵セメント専用線は休止となっており、大手セメント会社で道内にサービスステーション(SS)を設置してい た日本セメント(株)や小野田セメント(株)は北旭川駅に立地することが無かった点など、セメント輸送の拠点としての限界を感じてしまう。セメントターミナル(株)のような共同基地が設置されるまでもなかったような印象で、そもそも石油と比べてセメント系の専用線は道北や道東は少ないイメージである。海上輸送への依存度が以前から高い地域だったのかもしれない。


1977.9北旭川駅  左:日鐵セメント 右:宇部興産
 (地図・空中閲覧サービスより)

 日鐵セメント(当時は富士セメント)の専用線が開業したのは1969年10月だが、その1年以上前の1968年6月から東室蘭〜新旭川間でタキ車によるセメントバラ積み輸送が開始されたという歴史があり、一時的に新旭川駅には富士セメントのSSが設置されたものと思われる。
 専用線一覧表の発行された年の狭間であり、記録として新旭川駅の富士セメントの専用線を見出すことはできないのだが、北旭川駅の専用線開設を待たずに輸 送を始めたのは興味深い。北旭川駅建設に伴うセメント需要に応えるために新旭川駅に臨時のSSを設置したという事情でもあったのであろうか。

 更に謎めいているのが、日鐵セメントの二十年史によると「旭川中継基地」の完成が1971年4月となっており、また別の資料の『セメント年鑑』では旭川 SSの開設が1971年7月となっており、バラセメント貨車輸送の開始が旭川中継基地向けは1969年5月という記述もあり、資料によって各出来事の年月 がバラバラで情報が錯綜している。

 ただ以上の情報を纏めると、まず新旭川駅に暫定的なセメント貯蔵設備を設置してタンク車によるセメント輸送を開始し、その後、北旭川駅に正式なSSを設 置し、先行して専用線は完成させたという感じであろうか。もちろん、どれかの記述が誤っている可能性も考えられるし、一次資料としては日鐵セメントの社史 が最も正確な気がするのだが、こと専用線のような鉄道に関することは国鉄側の資料の方が正しそうであるし、決め手に欠けている。

 さて上記写真からも分かる通り、セメントサイロ1基のみの小規模なSSであり、1983年時点で休止になっていることからも貨車の輸送量としては、それほど大きくはなかったと思われる。上記写真では貨車3両が留置されており、40トン積みセメント貨車3両で250日稼働とすると、年間3万トン程度の輸送量になりそうだ。


2008.3苫小牧駅 宇部興産(株)苫小牧セメントセンター

 また宇部興産(株)も負けず劣らず、一筋縄でいかない。旭川セメントサービスステーションは、なぜか『セメント年鑑』の「工場外貯蔵出荷設備一覧」の宇 部興産に掲載されておらず、筆者の手元にある1988年版でようやく現れている。どうやら内陸SSを宇部興産は長らく省略して記載していたためのようで、 SSの開設は1969年になっている。つまり専用線開業の5年ほど前にはSSが設置されていたようだが、セメント年鑑の毎年の増加SSの欄に当該年含めて 旭川SSの名が見当たらず、正確な年月の特定が困難になっている。ただ宇部興産の社史においても、1969年に旭川に中継基地を設置(『宇部興産 創業百年史』1998年、p376)とあるので、SSの設置は1969年が正のようだ。

 輸送体系としては、苫小牧港の宇部興産(株)苫小牧セメントセンターに陸揚げされたセメントをタンク車で北旭川駅まで輸送していた。1979年度の苫小牧駅からの宇部興産のセメント輸送実績は、24.9千トン(『昭和54年度 鉄道貨物輸送年報』国鉄北海道総局、p194)であり、1979年3月31日現在の「私有貨車番号表」によると、苫小牧駅常備の宇部興産所有のセメント貨車はタキ3800形が3両、タキ11500形が13両であった。

 専用線の無い着駅にもセメント貨車を運用できるタキ3800形を所有する宇部興産であったが、北旭川駅向けについては専用線を備えた内陸SSであり、メ インの輸送先で最後まで残っていたものと思われる。この輸送の廃止時期は、苫小牧駅の宇部興産専用線が接続する公共臨港線(苫小牧西埠頭公共臨港線)が1984(S59)年4月に運行を休止(『苫小牧埠頭株式会社50年史』2010年、p128)したため、その時期に終了し北旭川駅の専用線も廃止されたと思われる。



■LNG輸送  

 2003年10月〜2012年11月までの約10年弱行われた苫小牧〜北旭川間のタンクコンテナによるLNG輸送。一時期は北旭川以外にも道内では帯広 や釧路貨物駅着にも拡大するなど、新規需要として期待されたが他輸送機関へ転移するなどして急速に終息してしまった印象である。筆者が初めて北旭川駅を訪 問したのは2013年6月だったが、LNG輸送が廃止になったことは知らなかったものの、駅構内にLNGタンクコンテナが見当たらず、一方でLNGロー リーの姿が垣間見られ、廃止になってしまった予感がしたものである。輸送が上向いていた頃の記録としては、『JR貨物ニュース』2006年10月15日 号、p4があり、以下内容を纏める。

 旭川ガス(株)は2003年4月、供給ガスをLPGからLNGに切り替える転換作業に着手し、旭川エリアの転換完了は2008(H20)年を予定している。勇払に石油資源開発(株)(JAPEX) の天然ガス田があり、需要の多い札幌にはパイプラインを敷設したが、旭川などはサテライト基地に供給することになった。天然ガスは-162℃で液体ガス (LNG)化し、体積が600分の1になるため、サテライト基地にはLNGの状態で送り、受け側の基地でガスに戻すのだが、輸送時の安全・安定供給が重要 であり、鉄道輸送が選ばれた。
 苫小牧〜北旭川駅間の石油列車にコンテナ車を連結して、LNGコンテナを運んでおり、発送の翌朝には旭川ガス永山工場のLNG用タンクに充填できるリードタイムである。空コンテナも翌日朝には苫小牧駅に戻す。鉄道での輸送量は2006(H18)年度で1日13個だが、天然ガスへの転換が進めば17個にまで拡大する予定。

2013.6苫小牧(貨)駅
(下)UT24C-38005 取扱区間として「苫小牧駅〜北旭川駅・新富士駅」とある



■合同酒精(株)旭川工場のコンテナ輸送  


2023.9北旭川駅 UT5A-136 合同酒精(株) 酒類専用
 合同酒精(株)はかつて旭川駅に専用線があり、貨車輸送を活用していた。旭川駅は1986年11月に貨物取り扱いが廃止されており、その頃まで専用線は残っていた可能性がある。
 専用線廃止後も北旭川駅からのコンテナ輸送によって、道内や東北、関東、東海、関西、福岡の物流センターや支店向けに鉄道コンテナで焼酎や清酒を運んでいる。
 
 利用個数は、1997(H9)年度実績で旭川工場が年間1,177個で、主要ルートは北旭川〜札幌(タ)間。札幌の取引先に送ったコンテナをそのまま倉庫代わりに使用することもあり、密閉性が高いことから冬の厳寒期でも商品が凍結する心配がないという利便性もある。(『運輸タイムズ』1998年6月29日付、5面)

 12ftタンクコンテナは、1995(H7)年5月に6個制作し、全国の同社工場間輸送などで運用を開始した。同社は専用線廃止に伴いタンク車の積み込みは発駅 までタンクローリーが横持ちして行うようになったが、タンク車が35トン積みと大ロットで、横持に3往復いることもあり、12ftタンクコンテナによって 積み替えの煩雑さが無くなりコストも下げられるようになったとのこと。またユーザー向け納品に運用する場合、大型ローリーと比べて納品先の道路事情や受け 入れ設備に対応しやすいメリットもある。(『運輸タイムズ』1995年5月29日付、2面)



■最後に  

 北旭川駅はとにかく広大、何ならただっ広い≠ニいうややマイナスな印象すら持っている。JR旭川駅から約6qも離れ、完全な郊外に位置することから貨物駅として広大な面積が確保できたということもあるだろうが、実に北海道らしい雄大さと単調さを持った貨物駅である。

 鉄道コンテナ輸送において、北旭川駅は今なお道北の一大拠点としての位置付けは揺らがないが、石油やセメントといった消費物資を都市へ供給する基地とし ての役割が失われてしまったことは、改めて残念ではある。2000年代に始まったLNG輸送は石油より短期間の10年弱で終わってしまったのは意外であっ たし、北旭川駅の方向性を考える上でも、示唆に富んだ例かもしれない。

 筆者は統計から見る鉄道貨物輸送の項で、内陸に位置して鉄道貨物輸送による消費物資(石油、セメントなど)の供給が盛んであった山形都市圏甲府都市圏高山都市圏に おけるそれら輸送体系の考察と盛衰を纏めてきた。北旭川駅に留まらず、旭川都市圏という広がりで考えてみても、これら都市圏と共通する課題と異なる特徴が ある。即ち近隣港湾との競合による油槽所やSSの集約化、発送元の臨海部の製油所や油槽所の閉鎖と輸送体系の再編成、道路整備に伴うローリーへの転換、 JR貨物による合理化などは共通する背景と言えそうだ。

 一方で異なる特徴として、北旭川駅という客貨分離による国鉄の近代的貨物ターミナルが計画され、物資別適合基地やコンテナ基地が整備された点である。こ れは山形、甲府、高山には無い旭川の大きなアドバンテージであり、その骨太なインフラは今後も有効活用すべきであるし、油槽所跡地など今は持て余し気味で ある敷地も多く、実に勿体ないと感じる。道内は札幌都市圏への一極集中が進む一方で、北海道全体で人口が急速に減っており、旭川もその影響は大きく経済の 活力低下に悩むニュースも色々と聞こえてくる。貨物専用駅である北旭川駅が、経済の発展に寄与する存在と自負できる存在であった時代もかつてあったわけ で、そのような気概を改めて北旭川駅関係諸氏に持っていただきたいと勝手に鼓舞して、この項を締めくくりたい。



[1]『かもつ』第34巻第2号、鉄道貨物協会、1984年
[2]『苫小牧港開発株式会社二十年史』苫小牧港開発株式会社、1980年

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